孤独

アルコール依存症は人を孤独に追い込む病気

「あのころは一生懸命突っ張っていましたね、まったく素直じゃなかった」。もう何年も断酒しているある会員さんが、酒に溺れていたころの気持ちを話してくれました。
「酒のためとはいえ、常識では考えられないようなことを平気でやっていました。酔っぱらっていて、覚えていないこともたくさんあり、いまでも家内が過去の体験を話すと、私にとっては身に覚えのないことなので、冷汗をかくことがあります。いま思えば、人閉じゃなかったんですね。断酒するようになってから、ある人に尋ねられたことがあります。
――いくら飲んでいたころでも、酔いがさめた時には後悔したり、口には出さなくてもすまないことをしたという気持ちくらいはあったでしょう!――と。
でも正直言って、そんな気持ちはまったくありませんでした。
――いくら酒に狂っていたといっても、そんな気持ちが全然なかったはずはないでしょう、人間だもの――と信じてもらえないのです。
しかし、本当なんです。たしかに人閉じゃなかったんでしょうね。酒で問題を起こすようになったはじめのころは、何度もしまったと思ったり、家内に謝ったこともありました。しかしそんなことを何度もくり返していると、開き直るというのか突っ張るというのか、いつの間にか素直に謝ったりできなくなるんですね。
俺はちゃんとお前たち家族を養ってやっているではないか、俺が自分の甲斐性で飲むのがなぜわるい、お前が飲ませないようにするから余計に飲みたくなるのだ、気持ちよく飲ませてくれていればこんなことにはならなかった、と本気でそう考えていましたからね。
家族にすまないなんていう気持ちは毛頭ありませんでした。わるいのは家族だ、会社だ、世の中だ、とまるで自分ほどかわいそうな人聞はいない、誰も俺のことはわかってくれない、だから飲まずにいられないのだ、と思って飲んでいたのです」と。
こんな体験談を聞いていると、アルコール依存症という病気は人をどんどん孤独に追い込み、飲酒と孤独の悪循環の中でますます進行していく病気だということがわかります。

孤独にもいろいろあります。私たちは誰でも、ときには日常生活の中での人間関係がわずらわしくなり、一人で自然の中を散策したり、音楽に耳を傾けたり、絵筆をとったりします。
このような、いわばみずから求める孤独はむしろ楽しいもので、私たちの心を潤わせ、生活に活力を与えてくれます。
それとは逆に、みずからの力ではどうしょうもなく、いつの間にかそこへと落ち込んでいく孤独があります。これは、人との心のつながりが切れてしまった状態で、まわりに人がいるかいないかはあまり関係がありません。たとえまわりに人がいても、その人たちとの心のつながりがなければ、人がいないのも同然です。
一人で生活している人よりも、心の通い合わない家族や同僚といっしょに生活している人の方がはるかに孤独かも知れません。登校拒否の子ども、初老の窓際族、うつ病やアルコール依存症の患者などが感じている孤独がそのようなものでしょう。
戦後何十年ものあいだ敗戦を知らず、東南アジアのジャングルの中で一人生き続けた元日本兵の横井さんや小野田さんの生命力、精神力には誰もが驚嘆しましたが、彼らの苦闘を支えていたのは、遠く離れてはいても、祖国や家族への信頼、心のつながりだったのではないでしょうか。ジャングルの中で孤独な状態ではあっても、けっして精神的な孤独に陥っていなかったからこそ、それに耐えることができ、希望をもち続けることもできたのでしょう。

孤独から抜け出す道

心の病はすべて、心理的・精神的孤独という点において共通しています。人は、本来この孤独に耐えて生き抜くのはきわめて困難なことです。孤独は心の死を意味します。そして心の死は、やがてからだの死をもたらします。孤独なアルコール依存症者も、酒を飲み続けていて心を開くことがなければ、かならず死を招くところまで行ってしまいます。直接的な死因が肝硬変であれ自殺であれ、その背景には”孤独”という共通の原因があることが非常に重要なことなのです。
慢性の自殺といわれるアルコール依存症に限らず、一見心とはなんの関係もなさそうにみえるアルコール性の身体疾患も、よく調べてみれば、身体的原因と同時に心の問題が大きく関与していることがわかるのですが、内科医のあいだでもこの心の面は無視されがちです。

ところで、孤独から脱け出すのは容易なことではありません。その道はたった一つしかありません。孤独は、周囲の人との信頼関係が崩れて心が通い合わなくなり、かたく心を閉ざしてしまっている状態ですから、この閉ざされた殻のどこかに、まず小さな窓を聞けることです。それは、この人なら素直に話せる、この人なら信頼できる、というような人に出会うことです。そして、最初はたった一人でもよいのです。その人とのあいだに新しく信頼関係が芽生えれば、それが芯になってしだいに心が大きく開いていくのです。
ふ?っ、その役割を果たすのが精神療法家ですが、なにも専門家でなければならないということはありません。専門家は全能者ではありません。病気に関する知識をもち、治療技術を身につけた専門家は、多くの病人を治療することはできますが、具体的に目の前にいる病人に対し、人間としてどれだけ深く関わり、共感できるかという点では限界があります。また、心の病の場合には、家族メンバー間には葛藤が生じやすく、粋はむしろ弱くなっていることが多く、とくにアルコール依存症の場合には、多くの家族はすでに崩壊寸前の状態にあり、互いに敵対関係にあることさえあります。したがって、家族が患者の心を癒せる状況ではありません。
病人ともっとも深く共感できるのは、同じ体験、同じ悩みをもっ「仲間」です。このような「仲間」こそ、最初に病人の心を開く鍵をもっている貴重な存在です。ここに断酒会やAAのもつ力の源泉があるのです。
治療者と患者の関係と、同じ悩みをもっ者同士の関係とのあいだには、決定的なちがいがあります。病人にとっての治療者の役割は、自分と家族や友人との信頼関係をとりもどすための、最初の重要なきっかけを見出し、信頼回復までの道程を支えることであり、もし病気が治れば、治療者としての役割もおわります。健康な人やその家族には、治療者は不必要な存在なのです。そのような意味では、病人と治療者の関係はきわめて特殊な人間関係だといえます。
しかし、同じ悩みをもっ者同士は、閉じた心に窓を開けることができると同時に、仲間としての関係をもつことにもなります。互いに生涯深く交わっていく無二の親友になるかも知れません。だから、断酒会やAAグループの中での仲間との出会いには、他の出会いにはみられない特別な重みがあります。

重い意味をもっ同志との出会い

人生にはいろいろな出会いがあります。街角ですれちがうだけの出会いから、家族との出会い、先生や先輩、友人との出会いなど数多くありますが、同じ悩みを吐を割って話のできる人に出会えるチャンスはめったにありません。水と水を混ぜ合わせると、完全に溶け合って同じ水になるような、そんな「水仲間」とでもいえる関係が、断酒会員同士のあいだには生まれるのです。
「水仲間」という実に響きのよい言葉は、一九八八年に作家で断酒会員の小林哲夫氏が出版された本の題名です。私との共著にしたいと声をかけて下さり、私も一役買うことになったのですが、小林さんはこの著書の中で「水仲間」について次のように解説しています。
「港は汽水域にあります。汽水域とは外洋と河口の中間にある淡水と塩水の混じった場所で、一般的には湾と呼ばれている部分です。
大雨の後、その湾は泥の海と化します。大小六本の川が吐き出す濁水のためです。ところが、雨が止むとたった二日間で、この湾の水は青く澄んでしまうのです。海は吐き出させた濁水を短時間で浄め、代わりに、青く澄んだ水を送り返してくれるからです。
断酒会に入会してから、私は断酒会のもつ力を、この海の浄化作用になぞらえて考えるようになりました。長年の飲酒生活で濁りきっていた自分の心が、断酒例会に出席することで、急速に浄められているのに気づいたのです。断酒会は太平洋で、俺はそこに注ぐ濁水のようなものと考えたのは、ごく自然のことでした。」

人は孤独になると、対人的に臆病、消極的、受動的になります。みずから心を聞こうとはしないのが孤独の特徴でもあります。だから、心の窓を聞けるには、治療者や断酒会員の方から積極的に働きかけねばなりません。孤独のもう一つの特徴は、受動的でありながら、まわりの人が自分をどう見ているかということにとても敏感で、警戒心が強いということです。また、周囲の人の自分への働きかけが、心からのものか、表面的なものかを見分ける鋭さを持っています。これはしばしばマイナスの感情――恨み、敵意、嫉妬、攻撃、ひねくれなど――を生み出すことにもなります。回復は心のふれ合う一人との出会いから共感できる仲間同士は、それ以外の誰よりも早く友人になれますが、それでもお互いに努力がいります。たとえば、はじめて例会にきた酒害者に対して、そこにいる先輩が、同じ仲間であることを二一口葉や行動で示してくれる度合によって、その人が心を聞きはじめるかどうかが決まってきます。同志だから、これはむずかしいことではありません。たった二百でよい、暖かい歓迎の言葉、激励の言葉をかけるとか、握手をするとか、翌日電話をするとか、手紙で出会いの喜びを伝えるとか、そんなちょっとした心遣い、優しさ、暖かさが孤独に風穴を聞けるのです。断酒会の創始者、松村春繁さんはこのことに十分気づいておられ、新しい人との出会いをとても大切にし、これを常に実行した人でした。

ある単身者は、断酒例会に数回出席したが、まだ友達ができない、と言います。
「例会のあいだは、いろんな体験談を聞かせてもらってためになるが、まったく雑談はできないし、会が終ると、みんな蜘妹の子を散らすようにそそくさと帰っていく。急ぎ足で立ち去っていく夫婦に、あとから声をかけるのもなんだかできなくて……」と、寂しげに語っているのを聞いたことがあります。
おどおどしながらも、勇気をふるってはじめて例会に出てきた人を見たとき、会員の一人ひとりが、自分がはじめて例会に出たときの気持ちを思い起こすことでしょう。そうすれば、その人に、今夜は思い切ってここへきてよかった、この人たちこそ自分をわかってくれる人だ、と感じてもらえるにはどうすればよいかが、自然にわかるはずだと思います。

どんな心の病も、その回復は、まず心のふれ合うたった一人の人との出会いからはじまります。はじめて参加した会員にとっては、先輩の一人ひとりがかけがえのない新しい人生の最初に出会う仲間であることを、忘れてはならないでしょう。

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